---- (多事奏論)戦死者と権力者 慰霊、歴史から目をそらすな

Nagano-gokoku-jinja (多事奏論)戦死者と権力者 慰霊、歴史から目をそらすな 駒野剛
Asahi-digital_20200102110701 朝日新聞ディジタル 2019年12月25日05時00分

 松本駅からタクシーで北へ約15分行くと長野県護国神社である。掲げられた「御由緒(ごゆ
いしょ)」を読む。1938(昭和13)年から同県出身の「明治戊辰(ぼしん)の役以来大東亜戦争
に殉ぜられた御英霊」をまつる。こうべを垂れ鎮魂を祈り世界平和を願う。戦陣に散った方々が
眠るにふさわしい静謐(せいひつ)な空間だ。
 私が靖国神社や護国神社へ慰霊に行くようになって20年ぐらいたったろうか。戦時資料を
閲覧するのに便利な靖国の崇敬奉賛会員だったこともある。一人静かに戦死者らと対面する、
それだけの話である。
 帰り際、休憩所に入ると台風で鳥居が倒壊した写真を載せた新聞記事と再建・修復へ寄付を
呼びかけた趣意書が貼ってある。
 「県民の皆様の幅広い御協賛を賜りたく、衷心よりお願い申し上げます」
 呼びかけ人に「崇敬者会長 阿部守一」と見て心が揺れた。長野県知事である。
憲法20条は第1項第3項で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力
を行使してはならない」「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはなら
ない」と、政教の分離を掲げている。この原則に反しないのか。
 今年8月23日付の朝日新聞長野県版に「会長に知事就任、慣例か 県護国神社、支援組
織『崇敬者会』 『違憲の疑い』指摘も」という記事が載っていた。
 記事によると、知事は神社を支える崇敬者会長なのは「私人として行っているもの」で憲法に
反しないと説明したという。なるほど小泉純一郎元首相が靖国神社を参拝する際、「私的参
拝」と強調するなど、「私的」という言葉は憲法をかいくぐる魔法の言葉である。法的にはそれで
通るのかもしれない。しかし、日本の歴史を虚心坦懐(たんかい)に見つめれば、「私的」と言って
事足りる話だとは、私には到底思えない。
     *
 戦前、「満州開拓団」という海外移民があった。人口を支えるだけの農地がない日本国内でな
く、中南米などに新天地を求めた農民は、1931(昭和6)年の満州事変を契機に、日本の傀
儡(かいらい)国家、満州国内に開拓地を得ようと海を渡っていった。
 中でも長野県からの移民は105開拓団、3万3千余人と全国最多を占めた。活況を呈した背
景に、長野県などの積極的な後押しがあった。
 32年3月、「満州愛国信濃村建設委員」29人が選ばれ、委員長として陣頭指揮を振ったのが
当時の県知事、石垣倉治だった。
 県内全戸からの寄付を呼びかけ、移住者への資金支援を計画した。不況下で資金集めに苦労
したが、石垣は「愛国信濃村は全国の範たるものとしたい」「満州は日本国民の生存上、我(わ
が)大和民族の発展上、最も重要なる処(ところ)であります」と「少(すくな)くとも五千戸三万人を
生命線擁護と民族発展の先覚勇士を彼の村に送りたい」を意気込んだ。
 信濃村は頓挫するが、移民への石垣の願いはかなった。しかし1945年8月8日、旧ソ連が
突如参戦してソ満国境を越えてから未曽有の悲劇が始まる。開拓団の男は根こそぎ召集され、
残った女、子ども、老人らは逃避行を迫られる。ソ連軍などの襲撃、前途を諦めての自決、伝染
病などで長野県に生還できたのは約1万7千人。約1万6千人が亡くなるなど未帰還だった。

 首相や知事という、戦(いくさ)を始めたり、外地に人を送り込んだりした権力者に連なる人たち
が、「私人」を盾に、政治利用なり広告塔まがいのことをするのは、あまりに歴史を甘く見ていな
いか。一個の「私」が戦死者と向き合うこととは、背負う過去の重みが決定的に異なる。
 決して慰霊をするな、と言うつもりはない。静謐な環境を乱さず、一人の人間として、人知れず、
鎮魂の場に臨んで欲しい。方法はいくらでもあるだろう。それが「私人」としての自然な振る舞い
であり、権力者が守るべき歴史への責任と思う。 (編集委員)

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写真:長野縣護國神社ウエブ